ロブ・スミスの音楽キャリアは80年代前半にギタリストとしてスタートしている。ザイオン・バンド(ブリストルで行われたレゲエ〜ファンク・ミュージカルの為に結成されたバンド)、レストリクションに参加し、それぞれEPを残している。そこには、ルーツ・レゲエというにはパンキッシュ、ニューウェイヴというにはヘヴィなボトム……という、この時代らしいブリストルの音が表現されている。
レイ・マイティはスウェットというバンドのキーボード奏者として活動していた。メンバーはロブ・チャント(スミス&マイティの多くの作品に関わっているギタリスト)、DJマイロの弟ポール・ジョンソンが在籍していた。1986年に、レストリクションを辞めたロブがスウェットのリハーサルを見学に行き、バンドに加入。“APOCALYPTIC”なファンクを演奏するが、バンドはほどなく解散してしまう。
シーケンサ−・ミュージックやビート、サンプリングに興味があったロブとレイのふたりは、それに合うヴォーカリストを探しながら共同制作を始める。
スミス&マイティとして活動を始めたふたりが、様々な試行錯誤の途中で残した音源に86年の「BRAIN SCAN」がある。これは、ブリストルの映像作家スティーヴ・ヘイリーとのコラボレーション的作品で、ON-U直系の攻撃的ビートとエフェクトの中にも現在のスミス&マイティに通じるメランコリアが潜む実験的な曲となっている。
また、この時期にふたりはワイルド・バンチ「THE LOOK OF LOVE」のライヴ・セッションに遭遇する。シンプルなマシーン・ビートの上をソウルフルなヴォーカルが乗ったこの曲を聴き、レイは「これだ!」と直感したそうだ。「これを自分たちのルーツであるレゲエな方向へ持っていけば」――そんな中で生まれたのがエリック・サティの「ジムノペディ」のカヴァー(マーク・スチュアートに買い取られ「ストレンジャー」となる)であり、「エニィワン」となる。
トラックの制作と平行して、ふたりは「スリー・ストライプ」というチームとして、サウンド・システムを運営していた。さらに同名の自主レーベルもスタートし、システムに出入りしていたMCやDJの作品をリリースしていく。レーベルとしての第1弾は、本CDにも収録されている「エニィワン」。ワイルド・バンチと同じくバート・バカラックの古典を取り上げた。
88年にリリースされたこのシングルは、ブリストルを飛び出し英国中でヒットとなる。スミス&マイティはワイルド・バンチとともに、“ブリストルの顔”として幾つもの雑誌や音楽新聞に紹介されていった。再びバカラックのカヴァー「ウォーク・オン」をリリースした後、メジャー会社であるロンドン・レコードと契約。スリー・ストライプの名は残しながら、ファルセット・ヴォイスのシンガー、カールトンをプロデュースし、同時に数多くのリミックス仕事をこなすようになる。ヴァージン・レコードからは、ふたりがプロデュースを手掛けたフレッシュ4(当時ティーンエイジャーのクラストやサヴ、フリンらがメンバー)がデビュー、「ウィッシング・オン・ア・スター」を大ヒットさせる。一方でスミス&マイティ名義のシングルもリリース、94年にはアルバムもリリースされるとアナウンスされ、全ては順調かと思われていたが、完成していたアルバムがリリースされることはなかった。
「悪い結婚生活のようだった」とロブが語る通りの契約期間を終え、彼らはすぐに新たな自主レーベル、モア・ロッカーズを立ち上げ、ロブとピーターによる同名ジャングル・ユニットの作品をリリースしていく。そして、95年に幻のアルバムのダブ/ネガといえる『ベース・イズ・マターナル』をリリース――その後は歴史である。
(Naoki E-jima ライナーノーツより) |