アメリカKansasのWichita生まれ。
ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、二ール・ヤング、ジミ・ヘンドリックス、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、スティービー・ワンダー、カーティス・メイフィールドなどに影響を受け、ミュージシャンになることを決意。ロスへと移り住む。当時のロスは、音楽的に非常にエキサイティングな街だった。ヒップホップの波が大きく押し寄せている一方で、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが大ブレイクし、西海岸系のハードロックのムーブメントが起こっていた。そんな中で、彼自身もこれまでになかった音楽的な体験を重ねていく。最も、好きだったのはビースティ・ボーイズとデ・ラ・ソウル。ビースティ・ボーイズの”Paul's
Boutique”はいまでも頻繁に聴くベスト盤だ。
すでにギター、ドラム、ベースなどが自在に演奏できた彼は、ソングライティングに励んだ。当然、マルチ・プレイヤーである彼には、誘ってくるバンドも音楽出版契約も、コネも仕事もあった。故Jeff
Buckleyとのジャム・セッションもこの時期に行われた。しかし、そうした日々の生活の中でも、彼は自分の求める音楽の制作に力を注いだ。その時、彼自身が志向していたのは、ソウル、ファンクであった。ロスでの新たな音楽体験を経て、よりメロディを求め、ブラック・ミュージックのビートを求めた。それをアコースティックで何曲もレコーディングしていった。アコースティックへのこだわりもその時点では大きくあった。
1995年。ショーンは、ロンドンへと渡る。ロンドンでは、80年代中盤から始まっていたレア・グルーヴからアシッド・ジャズへと至る大きなムーブメントは沈静化し、誰もが新たなスタイルの音楽を求めはじめていた時期だった。そんな中で、あるイギリスのメジャー・レーベルのプロデューサーが、彼のデモ・テープを聴いて新鮮味を覚え、契約したいという連絡があったのだ。ロンドンは、これまで彼自身が体験したのとは異なる開放感に満ちており、音楽制作においても非常に刺激的な街だった。そして、およそ3年をかけて、アルバムのための楽曲をレコーディングした。が、12インチ・シングルはリリースされたものの、レコード会社側の突然の心変わりにより、結局、アルバムがリリースされることはなかった。
しかし、それでも12インチがリリースされたおかげで、ショーンの才能を認める人たちがわずかでも出現したのは確かだ。また、ミュージシャンやDJからの反応も良く、彼らからの誘いもあり、コラボレーションをする機会に数多く恵まれた。特にショーン自身、非常に感銘を受けたのは、工藤昌之(現・APE
SOUNDS)との作業である。優れたエンジニア、プログラマーである彼との試行錯誤の数々は、ショーンにとって非常に有意義な体験だった。
やがて、自費で7インチ・シングルをリリースしたところ、ラジオでオンエアーされ、それを聴いたいくつかのレコード会社から電話がかかってきた。しかし、もうメジャーはこりごりだった。すべてのオファーを蹴って、当時、新進メーカーとして注目されていたWall
of Soundと契約をかわした。レーベル代表者、マーク・ジョーンズは、ショーンの音楽の一番の理解者であった。ショーンは、Wall of Soundの中の主要なライン、「We
Love You」レーベルの主要ア−ティストとなった。
そしてついに2001年。ファースト・ソロ・アルバムである"Monkey Boy"がリリースされた。これは彼がこれまでに溜め込んだ数々の音楽的なアイディアが多く盛り込まれた作品だった。ポップス、ロック、フォーク、ソウル、ファンクなどが融合し、さらにスクラッチやボサノバのエレメントもそこには聞き取れる。非常に盛り沢山なアルバムだった。
アルバムに対する評価は非常に高かった。ラジオやクラブなどでのプレイはもちろん、そこに収録された楽曲は、その後、数々のコンピレーションやミックスCDで使用されることとなった。特にセルジオ・メンデスを彷佛とさせるボサノバ・トラック、"Happiness"の人気は高く、10枚以上のコンピレーションで聴くことが出来る。
そして2003年、オリジナル2作目となるアルバム"Soul Visa"を完成させた。ここでは、いっそう、彼自身のベースとなっている60〜70年代の芳醇な音楽的な要素が、2003年という時代の中で、これまでになく激しくきらめいている。もちろん、セルフ・プロデュースによる作品だ。いくつかのパートを友人たちに頼むこともあったが、大半はショーン自身の手によるものだ。特に全編を彩る美しいストリングスは、彼自身の強い思い入れによるものだ。音楽的にシンプルで誰にでも聴きやすく、耳触りのよいものでありながら、このアルバムの中には、数限りない音楽的な体験に裏付けられた奥深さがあり、ヒップホップ、ブレイクビーツなどを経過した、いま現在進行形の音楽的要素が、恒間見られるはずだ。そしてその時代の中の普遍性こそが、ショーンが本作で目指したものなのである。 |