ハイ・コントラストの名前はもう説明不要であろう。ただ、2000年にLincoln Barrettがホスピタルと契約をするまでは、彼はまったく無名の新人だったのだ。彼のミニ・ディスクに録音されたデモを聴き、契約を交わしてからは、この驚くべきウェールズ人はドラムンベース・シーンに風穴を開け、プロデューサーとして、そしてAランクのDJとして、たちまち最もリスペクトされる存在になった。
Lincolnはもともと、音楽よりも映画に興味を持っていた。彼はニューポート・フィルム・スクールで学んでいたが、J Majikの"Arabian
Nights"を聴いてからキャリアを方向転換させた。彼はカーディフ大学で映画への情熱を追求しながらも、キューベースをマスターし、ミキサーとターンテーブルを手にするようになった。大学でも優秀な成績を修め、レコードショップでアルバイトをしながら、カーディフのドラムンベース・ナイト"Silent
Running"のレジデントとしての地位を確保した。
こうして、Lincolnは多くの有名なDJたちとプレイをするようになり、そこでホスピタル・レコーズのヘッドと出会うことになる。トニーとクリスはCatapultの地下でHigh
Contrastの初期のデモを聴き、彼に強い関心を持った。そして、電話とメールで何度もやりとりをし、High Contrastをホスピタルの一員として迎えることになったのだ。
ホスピタルはまず、"What's The Story?"と"Suddenly"の2曲を、"Plastic
Surgery2"というコンピレーションにて紹介した。そして、彼の12” "Passion"が2001年6月にリリースされ、その後"Make
It Tonight"、そしてFabioのアンセムとなった"Return of Forever"、と立て続けにヒットを出している。
彼のデビュー・アルバム"True Colours"は、2002年にホスピタルよりリリースされ、最高の評価を得た。このアルバムの発表により、Lincolnは海外でのDJツアーをするようになり、またドラムンベース以外の多くのレーベルからもリミックスのオファーを受けるようになった。
"True Colours"のリリース後は、クラブ・セッションとミックスのスキルアップに専念したが、この天才少年はDJの合間にスタジオに入り、2003年最大のドラムンベース・アンセムとなった"Basement
Track"を作り上げたのだ。
2003年から2004年にかけて、High Contrastは"True Colours"に続くアルバムの制作にとりかかった。こうして完成した"High
Society"は"Racing Green"や"Twilight Last Gleaming"といった、ダンスフロア・チューンや、Dynamite
MCや新進のrime MC NolayといったMCをフィーチュアリングしたボーカル・トラックによって、ネクスト・レベルへと進んだのだ。
Dynamite MCがアルバムのタイトル・トラックで歌っているように...「これは、とってもスペシャルなもの!」なのだ。
「High Contrastは、ドラムンベースの未来である」
−Muzik June 2002
「High Contrastの音楽は彼をシーンの最前線へと押し出した。彼のアルバムは何億年もの間待ち続けられた最高のアルバムである」
- Mixmag
「ドラムンベース・ヘッズのマストの1枚。必聴」
- Knowledge |