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ARTIST アーティスト
藤原 ヒロシ
藤原 ヒロシ

音楽プロデューサーにしてアーティスト、そして裏原宿ストリートのカリスマとしても知られる。
ツバキハウス<ロンドン・ナイト>のファッション・コンテストで優勝した賞品としてロンドン行きのチケットを獲得し、本場のクラブ・シーンを目のあたりにする。また、その後に渡った
N.Y.ではスクラッチDJも体験。
―そして帰国後、現在のクラブ文化の先駆けといえる、ライズ・バーやピテカントロプスにて本場仕込みのDJプレイを繰り広げた。
1984年に『スネークマン・ショウ』(ボックス・セット)のボーナス7インチにDJとして参加、これが日本初のメガ・ミックス・レコードとなる。
1986年には、いとうせいこうのアルバム用ラップ・ユニット、いとうせいこう&TINNIE PUNKS(藤原ヒロシ/高木完)を結成。翌87年、TINNIEPUNKSとして「ILUVGOT THE GROOVE」、スペルをTINYPANXに変更して、ファンボーイ3のカヴァー「FAITH,HOPE&CHARITY」をリリースする。
その翌年には、創設者の
1人となった日本初のクラブ・サウンド・レーベル<MAJOR FORCE>より「LASTORGY」を発表。以降も同レーベルより自身名義その他で、ラップ/ハウス/アンビエント/ダブといった作品を多数リリースしていく。
1990年代に入ると小泉今日子の「No17」のプロデュースを屋敷豪太と共同で手掛け、それを機に音楽プロデュース・作曲家・アレンジャーとしての評価を高める。そして藤井フミヤ、UA、チエコ・ビューティー、YOUなどのプロデュース、郷ひろみ、スチャダラパー、MELONなどのREMIXを手掛けていく。
さらに自身のプロジェクトとしていとうせいこうとのユニット“
SUBLIMINAL CALM”、TOKYONO.1SOULSETの川辺ヒロシとのユニット“HIROSHIII HIROSHI”、宮崎泉(DUBMASTERX)とのユニット“LuvMasterX“など活動の幅を広げていった。
そして
1994年に藤原ヒロシ名義による初のソロアルバム「NothingMuchBetterTo Do」を発表。1995年「HIROSHIFUJIWARAinDUBCONFERENCE」、1996年「“ユーリ”オリジナル・サウンドトラック」をリリースし、1997年ソロ名義活動の集大成として「HIROSHIFUJIWARA BEST」を発表した。
その後
1999年、元ラブタンバリンズのEliとのユニットELIHIROSHI名義でミニアルバム「MARCHIN’ROUNDTHEWORLD」を発表。そして同年末より藤原ヒロシ名義で発表された音源からのリミックスを連続リリース。(「HIROSHIFUJIWARAinDUBCONFERENCEREMIX」「NOTHING MUCHBETTERTODOREMIX」「REMIXES」「GETTINGOVERYOU / REMIX」)
2001年には大沢伸一との共同プロデュースでfeat.Voにクリスタル・ケイを起用した「LOSTCHILD」を、同年にはUNDER COVERのショウのために書き下ろした未発表音源をまとめた「MusicForUndercover+Flower」を発表。
2003年藤原ヒロシのプロデュースワークを本人のセレクトによってコンパイルし、さらに未発表・初CD化音源を加えた「MELLOWWORKSOFHIROSHIFUJIWARA」をリリース。そして、2004年に初のオフィシャルコンピレーションとなる「HIROSHI'SKICKBACK(PRIVATEMIX)」をリリース。
DISCOGRAPHY
HIROSHI'S KICK BACK (PRIVATE MIX) VOL.1 & 2 compiled by HIROSHI FUJIWARA
"HIROSHI'S KICK BACK (PRIVATE MIX) VOL.1 & 2 compiled by HIROSHI FUJIWARA"
音楽プロデューサー、アーティスト、ストリートカルチャーの牽引者として多様な顔を持つ藤原ヒロシによる、初のオフィシャル・コンピレーション・アルバムが登場。
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