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INTERVIEW インタビュー
ダーク・コメディ インタビュー
--- 生年月日、出身地、本名を教えてください。
ダーク・コメディ(以下D):
1968年8月6日、デトロイト生まれ。実は、デリック・メイと同じ誕生日なんだ。本名はケネス・ラーキン。
--- あなたはデトロイト出身ですが、今はLAに住んでいますよね、住む場所が変わったことによって、音楽制作は変化しましたか。
D: もちろん。新しい環境、新しい生活、本当に全てが変わったよ。音楽も含めてね。LAに住んでいなかったら、ダーク・コメディの「Funk Faker」のようなアルバムはできなかっただろうね。
--- ダーク・コメディ名義とケニー・ラーキン名義では何か違いはあるのですか。
D: ダーク・コメディは、もともとはもっと、、、ダークだったんだ!ケニー・ラーキンの音はもっとメロディックで、感情に訴えるものだった。ダーク・コメディ名義で出す作品に関しては、ちょっと不思議な感じのするものにしようと思っていたんだ。というのも、自分自身を違った方法で表現したかったから。みんな、ケニー・ラーキンの作品に関しては、「デトロイト・テクノ」って思うだろう? だからそれはそういう風に思わせておこうと思ったんだ。ダーク・コメディの作品は、コンセプトを持って作ることができる。それを自分の好きな方向性に持っていくことができるんだ。ケニー・ラーキンという名前ではできないことができる。わかる?
--- デトロイトからは、イナーゾーン・オーケストラ、ムーディーマン、セオ・パリッシュなど、独自の音楽をリリースしている多くの才能のあるアーティストが出てきていますね。その中でもダーク・コメディのアルバムは非常に凝っていてユニークだと思います。とどまることなく、常に新しいことに挑戦し、ジャンルの壁を越えようとするあなたの姿勢は、多くの人がリスペクトしています。「FUNK FAKER」では特に意識してコンセプトをもうけたのですか。
D: このアルバムの後ろにあるコンセプトは、自分自身を押し出すこと、そして自分が聴いている音楽のジャンルの間にある境界線をぼやかすことだった。僕はジャズ、ブルース、R&B、エレクトロなどを聴いて育った。これらの音楽の要素をまとめて、自分が予想していたもの、それから自分のファンが僕に期待しているものとは正反対のものをやろうと思ったんだ。これは、音楽に関しては、これまでの人生でベストの決断だったね。自分に制限を課すことがなかったので、ファンキーで、ブラックで、エレクトロニックで、ブルーズなアルバムができた。とても誇りに思っているんだ。
--- このアルバムは主にどこで制作されたのですか。制作にかかった期間は?レコーディング中に特に気を使ったところはありますか。生楽器とプログラミングの割合は?
D: アルバムは全曲、LAでレコーディングした。2枚のアルバムを同時に制作していたので、完成まで2年かかったね。一番気を使ったのは、それぞれのトラックの雰囲気をうまくとらえること。音楽をレコーディングする際の技術的な面は二の次だった。レコーディング・ミックス、エンジニアリング、全てを自分1人でやったんだ。歌詞も自分で書いて自分で歌った。トラディショナルな楽器にこだわってみようと思ったんだ。オルガンとか、ブルーズ・ギターとか、ピアノとかね。でも同時にエレクトロの影響もこのアルバムにはあるんだ。
--- アルバム中どの曲が一番気に入っていますか。
D: 特にこれが気に入っている、っていうのはないんだ。一番エモーショナルな曲は「イン・マイ・ホーム」。歌詞は、僕が10年前に自宅で撃たれたときの不運な状況についてのもの。実際に起こったことをすべて描写している。この曲をレコーディングしたときはへんな感じだったね。長い間この出来事を心から締め出そうとしていたから。いいセラピーになったよ。
--- オリジナリティあるトラックを作り続けるモチベーションをどのように維持しているのですか。
D: 僕のモチベーションは、これまでにリリースされたほかの数えきれないほどのエレクトリック・アルバムに埋もれてしまうような、典型的なエレクトロニック・アルバムを作ろうとしないところからくるんだ。それと、この数年であまり良くなっていないエレクトロのサウンドから自分自身距離をおく時期だったんだ。
--- アルバムで歌っているのはあなた自身ですか。ボーカルはとてもブルージーでソウルフルですね。どんな内容を歌っているのですか。今回のトラック以外に、過去に歌ったことはあるのですか。
D: そう、ボーカルは全部自分でやっている。トラディショナルなブルーズの形式でやってみたんだ。それは物語を語るようなやり方だ。ブルーズ・ミュージシャンは日常の生活で起こったことを歌う。いいことも悪いこともね。僕はコメディアンでもあるから、歌詞の大半はおもしろおかしいものになっているんだ。よく聴いてみると、すごくばかばかしいことを言っているのがわかるよ。1曲だけ、まじめに詩的にとらえてもいい曲がある。僕が撃たれたときの歌だよ。自分で歌うのは今回がはじめてなんだ。これからは、もっとやっていこうと思っている。実はブルージーな歌い方だけじゃなくて、普通に歌うこともできるんだ。
--- このアルバムは、フランスのpoussezからのリリースとなりましたね。アラン(DJ Yellow)のことは昔から知っていたのですか。またこのアルバムをpoussezから出すことに決めたのはなぜですか。
D: アランとは、共通の友人を通じてLAで会った。フランスで彼がやっていたレーベル、イエロー・プロダクションズのことは知っていたよ。アランは僕に新しいレーベルを始めようとしていると言った。僕の音を聴いて、とても気に入ってくれたんだ。それで、一緒に仕事をしようと決めたんだ。
--- 自分自身をプロデューサーとしてどのような位置でとらえていますか。
D: 僕は最初から、自分で自分の音楽をプロデュースしていた。それ以外の方法は考えられないね。自分にとってプロデューサーであることは音楽を作る上で普通のことなんだ。
--- あなたはあらゆる国のあらゆる街でプレイしてきたと思いますが、どの国でプレイするのが好きですか。またこれまでどこの国でプレイしましたか。
D: 挙げきれないくらい多くの国でプレイしてきたよ。フェイヴァリットの国はいくつもある。日本、オーストラリア、スペイン、スイス、ブラジル、クロアチアなんかは、特に気に入っている国だよ。
--- あなたはミュージシャンからコメディアンへ転向しようと思っているとききましたが、本当ですか。影響を受けたコメディアンはいますか。また、実際にステージでコメディアンとしてパフォーマンスをしているのですか。
D: うん、LAの大きなクラブでスタンダップ・コメディをやっているよ。いつも世界中をDJツアーで回っているから、好きなだけやれるわけじゃないけど。でもコメディはこの先しばらくやっていきたいと本気で思っているんだ。音楽を始める前、1988年にデトロイトでコメディをやっていたんだ。でも、音楽を始めたんで、しばらくやめていた。次のアルバムが、僕のスタンダップ・コメディのビデオ映像付きでも驚かないでね!
--- デトロイトのアーティストには、音楽を通して政治的なアプローチをしている人が多いように思います。アメリカの社会や現在の政府や政治についてはどう思いますか。
D: この手の質問は、答えるのにすごく時間を要するよ。とても悲しい状況にあると思う。ブッシュは僕たち、そして世界中を悪い方向へ導いている。それは永遠に僕らに影響を与えるだろう。彼の傲慢さ、そして個人的な利得のために1つの国を攻撃するという一方的な決断には悲しくなるよ。ときどきツアーをしていると、このことについてきかれるんだ。そして僕はいつも、すごくきまりが悪くなる。時には自分が、その政策がいかに世界にネガティブな影響を与えるかをまったく気にかけることのできない国の出身であることを恥ずかしく思う。この辺でやめたほうがいいね。いくらでも話せちゃうから。
--- 現在のテクノ/ダンス・シーンはどうですか。
D: シーンは5年ほどエキサイティングではないね。露出が過多になっていて、もうアンダーグラウンド・シーンというものは存在しなくなっている。僕の意見では、オーバーグラウンドに出た瞬間に、そもそも音楽の本質を破壊したと思う。
--- 音楽制作やDJをしていないときには、何をして過ごすことが多いのですか。
D: 太陽の光とLAのカルチャーにひたりながら、LAの街をただふらふらとドライブするのが好きなんだ。誰にとってもそうとは言わないけれど、チャンスがたくさんある街にいることが大好きなんだ。
--- 今後のプロジェクトやリリースプランを教えてください。
D: 今、トリッキーと一緒にいくつかのプロジェクトに取りかかっている。彼が見つけてきて契約した女の子のリミックスをやっているんだ。それから、トリッキーのニュー・アルバム用にも曲を書いている。それから、自分のレコードも作っていくつもりだし、スタンダップ・コメディのキャリアを積むことも重要だ。
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