デビュー以降、10年にも渡り《オピオ》の鼻にかかった舌足らずな声はその独特な質感は多くのリスナーから支持を受け続けてきた。彼の耳につくヴォーカルが西海岸の湾岸エリアに根付くタフな詩人軍団“ハイエログリフィクス”を動かしたのだ。
《ソウルズ・オブ・ミスチーフ》と“ハイエログリフィクス”そのどちらのクルーにも所属するオピオは、MCだけではなく作曲面でもプロデューサーとして活動をしている。「70年代に音楽好きな家庭で育った」という彼は小さい頃からヒップホップにはまっていた。「父親が音楽の先生だったから沢山の音楽に囲まれて育ったんだ。ジャズが一番多いけど他にクラシック、レゲエ、ロックなんかだね。でも俺はヒップホップっていうのはそれら全てが混ぜ合わさった物だと思うんだ。」オピオはヒップホップ好きな少年として80年代の初頭をブレークダンス/DJ/ラップとヒップホップの要素全てにチャレンジしていった。
まだ10代の頃、オピオは近所に住んでいた学校の友達“カジュアル”に紹介され地元でラップをしていた“タジェイ”と“A-プラス”に出会う。後に“フェスト・ディー”と出会いソウルズ・オブ・ミスチーフとなる彼等3人は出会ってすぐに意気投合しレコーディングを始める様になった。そして“デル・ザ・ファンキー・ホモサピエン”、“カジュアル”、“ドミノ”、“ペップ・ラブ”と共にクルー“ハイエログリフィクス”を後に築いていくのである。
振り返ってみるとソウルズとしてオピオはこれまで素晴らしい記録を残している。彼等のデビューLP『93 'Til Infinity』(Jive,1993)はビルボードのR&Bチャートにおいて初登場14位を記録し、総合チャートでは200位中109位に入りヒップホップの歴史的な名盤としてコアなヒップホップ・ファンからそうでない人まで幅広く高い評価を得た。続いてソウルズの2ndアルバム『No Man's Land』(Jive,1995)はR&Bチャートの27位をマークする。これら2タイトルのメジャー・レーベルからのリリースに続くように、彼等はハイエロ一派として1997年に立ち上げたレーベル/会社【ハイエロ・インペリアム】にてその勢いを増していく。他にもオピオのリリックやラップは『Third Eye Vision』(Hiero Imperium, 1998)、『One Big Trip』(Hiero Imperium,2002)、『Full Circle』(Hiero Imperium, 2003)、ソウルズの3rdアルバム『Trilogy:Conflict, Climax, Resolution』(Hiero Imperium, 2000)等でも聞く事が出来る。
この、ハイエロのクルーの中でも特にオピオはメジャー・デビューを果たして以降、その才能を目まぐるしく開花させてきている。以前はスタジオにこもっての作曲作業をあまり好きになれず、代わりに曲のメロディーやリリックを生む事、古いレコードをあさってのサンプリング・ソースについて研究する事を主に行って来たのだが、近年はスタジオでの作業にも馴れ、今では立派なプロデュー
サーとして活動をする様になった。“Rock It Like That”、“Oakland Blackouts”、“Medication”、“Megablast”、“Heatish”等がオピオの手掛けたハイエロやソウルズの代表曲である。そして、2005年2月にリリースとなる彼の初のソロ・アルバム『Triangulation Station』(Hiero Imperium,2005)はラップのスキルと同様にオピオの作曲家/プロデューサーとしての才能が感じられる作品になっている。 |